- 豊後牛
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2010.08.29 Sunday
おはようございます!
みなさん豊後牛って知ってますか?
大分県産の黒毛和牛です。
知名度的にはマイナーですが、味はとてもいいんですよ!
今日は豊後牛についてお話します。
【歴史】
古くは、1921年(大正10年)の全国畜産博覧会で大分県産の種雄牛が最優秀賞の一等一席を受賞し、銀座でパレードを行ったという記録があります。
その後、昭和40年代から飯田高原等で牧草地の開発が行われ、酪農が盛んになりました。1983年に生まれた「糸福」は、種雄牛として特に優秀で、その産子は約4万頭に上り、豊後牛の品質の改良と全国的な知名度の向上に大きく寄与しました。
近年では、2002年の第8回全国和牛能力共進会において、豊後牛が「肉牛の部」で内閣総理大臣賞を受賞し、その優秀さを改めて示しました。
なお、この賞を受賞した牛も「糸福」の血を引いています。では、なぜ豊後牛の知名度は低いのでしょうか?
「牛は豊後が日本一」。1921(大正10)年に東京で開かれた全国畜産博覧会。玖珠郡畜産組合(当時)が出品した「千代山号」が1等に入り、全国にその名を知らしめました。
その後も、豊後牛はさまざまな品評会で優秀な成績を収めてきました。
【肉質の改良進む】
県畜産試験場によると豊後牛はもともと早く成長する「早熟早肥」で、中山間地の放牧に耐えられる丈夫な体が特徴。65年ごろまで、農作業に使う役牛(えきぎゅう)の性格も残っていましたが、91年の牛肉輸入自由化解禁の前後から肉質の改良が進んだといわれています。
「大分県はいち早く肉質の改良に取り組んだ」と試験場。遺伝情報と子牛の成績を基に産肉能力を算出する「育種価」の研究をしていた京都大学と連携をして、81年ごろから全国に先駆け、各地に出荷した豊後牛の枝肉データを収集、分析しました。
こうした取り組みが豊後牛の一時代を築き、今も系譜が続くスーパー種雄牛「糸福」(83〜2002年)などの誕生となって結実しました。
糸福の子ども「寿恵福(すえふく)」(97年〜)も、5年に1度開かれる“和牛のオリンピック”「全国和牛能力共進会」(02年)で、高いBMS(霜降りの程度)などが評価され、県勢初のグランドチャンピオン(内閣総理大臣賞)を獲得しました。
輝かしい成績を残した豊後牛は大分県を代表する食品なのです!【知名度が低い原因】
「オリジナルを」
調べていくうちに「長年の課題」(県関係者)が浮かび上がってきました。県内は子牛を生後約10カ月まで育て、販売する「繁殖農家」が大半。その子牛を「肥育農家」が買い取って18〜20カ月間飼育し、○○牛などとして市場に出荷する。
ここで問題となるのは和牛銘柄が「子牛の産地」ではなく、「肥育した場所」で言われることです。県内市場で、県内の肥育農家が子牛を買う割合は27%にすぎないんです。「(子牛の大半が県外に出るため)豊後牛として扱われる絶対量が少なく、知名度が上がらない」と県畜産振興課は悩みを訴えています。そこで今取り組んでいるのが「大分のオリジナル品種を」とのことだそうです。
県も農家の要望に応えようと動いています。試験場は口の中で溶ける温度の低い、うま味成分のオレイン酸に大注目!。「豊後牛はオレイン酸をつくる遺伝子を保有する割合が90%に近いんですよ!」と、井上一之主幹研究員は胸を張っています。私も「豊後牛が日本中の人からおいしいと言ってもらえるようにしたい」と強く思っています。
美味しい豊後牛を全国へ!